法人紹介

第3章 あせらず伸びゆく力を持つ

3-6 受け止められる幸せ

保育園時代の子どもは、絶えず活動しています。

エネルギーが有り余り、静かにしている時はお昼寝中、もしくは、体調が悪い時です。

それを知らず、次から次へと好奇心を示し、失敗を恐れずいたずらをしています。私たち大人は「まったく!仕方ない子ね!」とまゆをひそめ、時には怒りをぶつけてしまうこともあるでしょう。

でも、ちょっと待ってください。保護者も保育士も教師も、すべての大人は誰も子ども時代を通り過ぎてきたのです。

ご自分の子ども時代を振り返ってみませんか?私たちが子どものころは、貧しくても忙しくても、絶えず大人の目と心は子どもに向けられていたように思います。常に親や周囲の人々に見守られていたという実感は、幾つになっても心の中に温かく残っているものです。子どもが笑ったらほほ笑み返し、何か言えば相づちを打ちます。子どもが大人を見て振り返っても知らんふりなどしないでくださいね。現代は誰も彼もが忙しく、「そんなことしていられない」などと思わずに、どんなことも大人は楽しく喜んで受け入れることが大切でしょう。

 

小学校の教師は忙しく、一人一人に構っていられない、ましてや他の生徒とそろわない子にまで目を向けられない・・・と聞きますが、本当にそうでしょうか。

私事になりますが、幼稚園に通う孫が食物アレルギーを抱えています。お泊り学習の前に「心配事は申し出てください」と園からの通知があったので、母親が先生に申し出ました。すると、思いもよらない回答が。

「そんな面倒なお子さんは不参加にしたらどうですか?」が先生の言葉だったそうです。「そうそう、その通り」と思われる先生が多いのでしょうか。「工夫してお友達と一緒に泊まりましょう」と思われる先生は何人くらいいらしたでしょうか。

 

親や保育士や教師になるということは、どんなことも楽しく受け入れる準備や訓練が必要です。そうでなければ子どもはつらく、不幸になってしまいます。子どもは生まれる前から、無償の愛の持つ社会の仲間入りを約束されているのです。子どもは生まれる前から、無償の愛の持つ社会の仲間入りを約束されているのです。育児を楽しめない人に育てられるということは、悲しいことです。子どもの気持ちを豊かにイメージできて、十分察してあげられることが大切だと思います。

年中組の女の子が声を掛けてきた時のことです。

子 「佐久間先生のお名前は何ていうの?」

私 「さくまあさお、よ」

子 「だれが付けてくれたの?」

私 「先生が生まれた時、先生のお父さんとあ母さんがつけてくれたのよ」

子 「もう、おじいさんとおばあさんになってる?」

私 「ううん、病気で死んでしまったから、もういないよ」

子 「悲しくない?」

私 「時々悲しくなるけどね。夜お星さまを見るとなおっちゃうよ」

子 「我慢するの?」

私 「そうね、我慢できる時と、できない時とあるけどね。保育園のお友達がかわいいから大丈夫よ」

子 「ゆいはね、夏に生まれたからナツコにしようと思っていたんだけど、みんなで考えてくれて『ゆい』にしたんだって、かわいい名前でしょ?」

私 「とーってもかわいいお名前でゆいちゃんの全部がかわいいよ」

 

 

私は、女の子をすっぽりとひざの上で抱き締めました。

やっと一歳になりたてで入園した子が年中組になり、こんなに相手の心に寄り添い、思いやり、「悲しくない?」と聞いてくれるのです。

友達や家族や多くの人々に大事にされないがら、いつの間にか豊かな心の持ち主になってくれました。相手に共感できるということは、自分が幸せでなければ持てない感情なのですね。

子どもの成長を見ながら楽しい日々が続きます。

今までこのコラムに目を通して下さったかたがたの中には、「どこか変。大人は要求を受け入れるばかりで、イライラしている母親の気持ちはどこへぶつけたらいいの?」と

納得できないお母さんもおられたでしょう。いつもいつも平常心でいることは困難です。分かっていても、さまざまな事情があり、その時の都合で答えられないこともありますよね。

では、どのように大人は自分のメッセージを相手に伝えればよいのでしょう。ご一緒に考えてみましょう。